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今回は、私 奥村尚威 について、少しご紹介させていただきます。
今回は大学時代のことにつきお話しさせていただきます。
私が卒業したのは、藤田保健衛生大学です。
大学院も藤田保健衛生大学大学院なので、最終学歴も藤田保健衛生大学です。
藤田保健衛生大学は愛知県豊明市という場所にあります。(桶狭間の合戦の地です。)
1972年(昭和47年医学部設置)された所謂、新設校です。
ところでみなさん、この大学をご存知でしょうか?
東京の方にはあまりなじみのない大学だと思います。
関東にしか住んだことがなかった当時の私も、もちろん大学の事は詳しくありませんでした。
私が入学したのが、1997年です。この年は、
苦しい受験勉強の末、手に入れた合格でした。
私の父も入学前、あまりこの大学の事を知らなくて、合格後、いろいろ調べてくれてから、
いい大学だと太鼓判を押してくれました。後から思うと父の意見は正しかったと思います。
この写真は入学式の日、父と写した写真です。銅像は創業者の藤田啓介先生です。
入学式の日、2000人ホールという巨大なホールで行われた式典に驚いたのを覚えています。
入学後にオリエンテーションがありました。
この写真は、オリエンテーションの一場面です。浜名湖まで行きました。
先輩方が、たくさんのレクリエーションを考えてくださって、楽しく過ごさせていただきました。
入学して、まず驚いたことは、とにかく勉強が厳しかったことです。
通常2年生以降で実施される解剖実習が1年生の10月から始まり、
楽しい大学生活などと、大学生活を甘く考えていた私の甘い考えは簡単に打ち砕かれました。。。
この写真は、解剖実習の始まる日です。希望と不安に燃えております。
この3名で実習をやり遂げていきました。
勉強はとにかく厳しくて、今では当たり前かもしれませんが、
授業のはじめと、抜き打ちで終わりころに出席カードが回ってきます。
100人ほどの小所帯なので代筆はできません。見つかると欠席にされました。
月曜から金曜の8時40分から17時10分までの6時間授業と、
月に2回、土曜日に小テストが課せられていました。
定期試験は、長期休暇の”終わった”後、新学期が始まる前と決められており、
長期の休み中も、医学の勉強のことが頭から離れない大学生活でした。
そうはいっても、部活には入っており、Jazzドラムをたたいておりました。
この写真は、西医祭という、西日本の医学部の学生が一堂に会す音楽祭です♪♬♩
ちょっと古い感じに映っていますね。特に男性陣(笑)
大学はとにかく試験や勉強が厳しく、必死に食らいつかなければ置いていかれそうになりました。
どこの医学部でもそうだと思いますが、大学時代を楽しむ余裕はないと思います。。。
それでも、
部活でJazzを演奏したり、友人と楽しく過ごす時間は今でもかけがえのない思い出になっています。
これは4年生の時、最後の部活での演奏後の写真です。演奏を終えた後、ホールにて撮りました。
5年生からは部活動は任意参加になります。
5年生はポリクリという病院実習が一年間かけて行われます。
すべての科をローテーションし、臨床実習を行います。
身分としては大学生なのですが、スタッフドクターと同じように行動しますので、
時に泊りがけのこともありました。時々ですよ。。(笑)
でもいろいろな科で、いろいろな経験ができる大変有意義な勉強になりました。
そして
最後の難関が6年生の卒業試験です。藤田保健衛生大学はこの関門が難しい事で有名で、
卒業後、国家試験を受けた時、なぜか簡単に感じるほどだったのを覚えています。
卒業試験よりは楽に解けたと。。。この時ほど、大学に感謝した時はありませんでした。
無事卒業し、国家試験を合格し、藤田保健衛生大学病院で研修を開始しました。
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