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2017年9月にこのクリニックを始めて、もう1年半になります。
本当に時間がたつのは早いですね。本当にあっという間という感じです。
私が、このクリニックを始めたいと願ったきっかけの一つに父の存在があります。
父は、昭和55年に、神奈川県で外科医院を開業しました。
当時は、入院施設もあり、手術なども父が精力的にこなす医院でした。
その医院はお休みが日曜日半日しかなく、父は、まさに使命感に燃えて働いていました。
父は、救急車を断りませんでした。また、警察からの協力要請も夜中でも断らずに行っていました。
今、父と同じ仕事を自分ができるかと自問自答すると・・・。本当にあたまが下がる思いです。
ただ、ちょうど小学生だった私は、なかなか時間がなく構ってもらえなかった父に、
苛立ちを感じていたのも事実です。そのころの私は父への反抗からか医師になる気持ちはなく、
お笑い芸人、パイロット、テレビ局のディレクターになりたいと思っていたのを思い出します。
小学校3年生の時に、虫垂炎になった話。
でも、大きな転機が来たのが、小学3年生の頃、私が虫垂炎になってしまった時でした。
これまで父の仕事は、間接的にしか見たことはありませんでしたが、私のたっての願いで、
父に手術をしてもらえることになりました。オペ室の父は本当にかっこよくて、外科医になりたいと
あこがれたのを思い出します。結局父に手術してもらい、それをきっかけに医学に興味が出て、
医師を志そうと思ったのを思い出します。
しかし
父の医院は、その後10年を経て、父の体調不良などで、廃院せざるを得なくなりました。
私が、15歳の時です。ある日、突然引っ越しせざるを得なくなり、
父は離れたところで仕事をするようになりました。父と距離ができ、そのころ思春期だった私は、
医師になるのをあきらめるようになったのを思い出します。
それからは、なかなか父には会えず、寮生活だった私は、母や弟のことも心配でなりませんでした。
その後、高校を卒業するころ、やっと父が、遠く離れた地方の医院に呼んでくれました。
医師になるのはあきらめていた時でしたので、正直気が引ける気持ちでしたが、久しぶりに会える
喜びと、運転免許を取る目的もあり、父の医院(住居併設)で泊まり込みました。
そこでの父は、本当に輝いていました。地域の人に頼られる地域医療を実践していました。
父が地方で頑張っているのを目の当たりにし、再び医師になることを志しました。
当時の私は、お世辞にも優秀な生徒ではなく、高校の指導の先生にも、医学部は
到底難しいといわれていましたが、一度しかない人生、がんばろうと決意しました。
無事に高校は、卒業し、医学部を目指し、浪人することになりました。
②に続く。
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